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公益財団法人 サントリー生命科学財団



創立者のことば


昭和20年8月15日。終戦の日を私は、大船の海軍第一燃料廠で迎えた。大阪大学理学部を学業半ばでくりあげ卒業させられた私は、海軍に奉職し、技術将校としてブタノールの研究に専念していた。戦局が進むにつれて覚悟はしていたものの、いざ敗戦となると、目標がにわかに崩壊し、私たち全員が、虚脱状態に陥るのは避けがたかった。

私の場合、復員後は、大阪にもどり、父の家業の手助けをすることになっていた。高等学校へ進む頃迄は、農業研究者として日本の農業近代化に生涯を捧げるつもりだったが、兄の急逝という突然の不幸に見舞われ、私が家業(当時の寿屋)を継ぐことに決まっていたのである。

戦後の日本は、学問や文化を通じて、世界の平和と繁栄に貢献していくべきであろう。私自身は、やむを得ない事情により、研究者への途を断念させられはしたが、実業の世界に身を起きながらも、何らかの形で自分の理想を貫きたいと真剣に考え、構想を練っていた。純粋に真理の探究に情熱を燃やす秀れた研究者が寄り集まり、自由にテーマを選び、研究活動に没頭できる、ユニークな施設を作りたい。

たまたま同じ燃料廠に、恩師小竹無二雄教授の同門である広瀬善雄君がいた。有機化学の世界的権威者、小竹先生は、自らのドイツ留学の体験を踏まえて、私たち学生に、『常に、"何か新しいこと"(エトバス ノイエス)に挑戦しろ』と教えて下さった。広瀬君に私の構想を打ち明け、研究活動への夢を語り合ったとき、私たち二人は、期せずして"エトバス ノイエス"を思い起こし、学生時代を懐かしんだ。

昭和21年2月、小竹先生を理事長に戴き、広瀬君もメンバーに加わり、財団法人食品化学研究所がスタートした。

爾来、半世紀近くを経て、サントリー生物有機科学研究所(1979年改称)は、研究スタッフも充実し、設備も整ってきた。研究内容も、古典的な天然物有機化学から先端的な学際領域の科学へと移行し、博士客員研究員制度も定着して多くの成果に繋がったことは、中西香爾教授のご指導とご薫陶に負うところが大きい。

当研究所が、今後とも、より自由・活発な活動を通じて秀れた人材、価値ある業績を生み、人類の進歩に寄与することができればと願っている。


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サントリー生命科学財団
創立者 故 佐治 敬三 理事長